×
布帛を縫製し、金型に入れてプレスし型を作る国内製造業者、職人は減少する一方。
日本のものつくりの文化や技術力をお伝えていくことがコンセプトである【達磨】
生産者と消費者であるお客様をお繋することが当社の「達磨」役目です。
縫製はもちろん、生地に至るまで、「どこ」で「だれ」が作成したかをお客様にしっかりとお伝えし、細かな部分まで知って頂くことで、「もの」に愛着がわきます。
「こういった場所」で「こちらの職人さん」が素材をつくり、「こちらの場所」で「こういった職人さん」が組み立てており、最後に「こういった職人さん」が「こちらの場所」で仕上げております。
「どうせなら良いものを長く使いたい」達磨から日本初の栃木レザーシリーズがスタート。
革本来の風合いを存分に味わえるナチュラルレザー。飽きのこない、長く愛用のできるハンチング、キャップ、ワークキャップ、キャスケットの4種を作成。
こだわりがたくさんつまった老舗帽子専門店ならではの逸品がここに誕生しました。
素材は匠の技術と共に最高品質の皮革を求め、日本発の革製品のブランド「栃木レザー」様にご依頼。
No.1Brown
No.2Dark Navy
No.3Black
No.4Wine
革らしい表情を活かしたオイルレザー。
植物性タンニンでしっかりと鞣(なめ)した後、しなやかさと耐久性をあげる為にオイルを含ませています。程よくオイルが入りしっとりした質感が特徴で、使用していくと経年変化による深みのある光沢がでてきます。表面の仕上げはシンプルなので革本来のキズなどは隠れませんが、使い込む程に増す風合いは革の良さを感じさせます。
革の種類:成牛革
学名:Bos taurus(ボース・タウルス)
原産国:北米
ヌメ革は、血筋やシワといった自然の印がそのまま残された豊かな表情を持つとても丈夫な革素材です。表面に加工を施さずに仕上げるため、キズや変色などが目ちやすい革素材ですが、自然な風合いと共にその全てが馴染みながら、味わい深い表情へと変化する特徴を持っています。栃木レザーは植物タンニン溶液の入った160ものビット槽に、薄いタンニン槽から濃いタンニン槽へと順次つけ込みます。栃木レザーのタンニンはブラジル産のミモザという質の高いタンニン樹液を使用。
「栃木レザー」は、昔ながらの大きな手間のかかる鞣し工程を頑に守り続けています。
鞣しには、有害な薬品類を使わず、ミモザから抽出した樹脂を使い、時間をかけてじっくり鞣す。
また、職人たちも、それぞれの工程のエキスパートが揃い、他では絶対に真似できない”ひと手間”に心血を注いでいます。
培った技術と職人の経験、知恵、勘がものを言う。
工程の多くは機械に頼るが、たとえば革の厚みを均等にするための「セッター」と呼ばれる工程などは、ブランドの希望により、いまも手仕事で行う場合があります。先人たちから培われた人の手を介した所作こそ、栃木レザーが誇る最大の財産といっても過言ではございません。
すべて天然由来の植物タンニン鞣し。
革を加工するための鞣しには、有害な物質を排出する薬品は一切使わない。タンニンを多く含む、アカシア系の樹木、ミモザのワットルバーグ(樹皮)から抽出したエキスで鞣すのが栃木レザーの流儀。
温度、湿度の管理が品質の要となる。
鞣しなどの工程を経て水分を含んだ革は、理想の環境で乾燥される。栃木という地域特有の温度や湿度に適応するため、これまで培った経験、温度管理のもと、出荷や染織といった工程に備えている。
色つや、耐久性を増やすためのひと手間。
回転ドラムなどに革と染料を一緒に入れて、下地の染色を行った後、表面につける染色はいまも人の手を介して行う。色見本を参考に手加減で色調を決めてゆく作業は、まさに職人技。表面にしっかりと着色することで、色つやが増すほか、耐久性も高まるという。
本社・工場
〒328-0033 栃木県栃木市城内町2丁目1番4号
https://www.tochigi-leather.co.jp/
東京都台東区にて創業60年余の老舗松野製帽さまに、裁断縫製をご依頼。
代々受け継がれるミシンや裁断機
創業者 松野 貞行の掲げる「一生懸命」
お客様の為に心がけてものづくりを
その意識を受け継ぎ、帽子づくりを追求
コンピュータでは出来ない微妙な職人技
ゆえに風合いの良い仕上がりに
〒111-0053
東京都台東区元浅草3丁目21番11号
http://www.matsuno-boushi.co.jp/
別名「縁起だるま」「福だるま」「祈願だるま」とも呼ばれる高崎だるま
熟練されただるま職人様に縁起文字を入れていただきました
群馬県達磨製造協同組合の理事もされている吉田だるま様に描いてもらった達磨が【達磨】ブランドのロゴとなっております。
高崎だるまの起こり
高崎だるまの木型
高崎だるまは、今から二百数十年前の寛政年間(1789年~1801年)に碓氷郡豊岡村の豪農・山縣友五郎によって生み出され、今日まで作り継がれてまいりました。初めは、少林山達磨寺の東皐心越禅師の描かれた一筆達磨像のお姿を型取った座禅だるまでした。
その製法は山縣家の秘伝とされ受け継がれましたが、明治に入り木型名人の葦名鉄十郎盛幸が豊岡村に住み始め、だるまの木型を専門に彫り始めます。
これにより、豊岡地内にだるま作りを目指す者が増え、大勢の人が作り始めるようになりました。
これが高崎だるまのおいたちです。
また、そのだるまは、少林山達磨寺が創建当初から続けている七草大祭で売られるようになりました。
これが「だるま市」の始まりです。
初めは、達磨大師のお姿を描いた座禅の形でしたが、養蚕の発達とともに、繭の形に似た縦長の繭型だるまに形が変わってきます。
上州は、昔から養蚕の盛んな地域で、蚕は繭を作るまでに4回脱皮しますが、蚕が古い殻を割って出てくることを「起きる」と言います。
この言葉にかけて、養蚕農家では七転び八起きのだるまを大切な守り神として奉り続けてきたのです。
養蚕の大当たりの願かけから、やがて一般家庭へと広まり、様々な願かけが行われるようになりました。
別名「縁起だるま」「福だるま」「祈願だるま」とも呼ばれる高崎だるまは、
こうした時を経て郷土のみならず日本を代表する「かけがいのない」存在となりました。
〒370-0868
群馬県高崎市鼻高町43-7
https://www.yoshida-daruma.co.jp/company/